板垣退助は自由民権運動の主導者として歴史に名を残し、お札の肖像画にもなった日本を代表する偉人です。彼が残したといわれる名言の中に、「板垣死すとも自由は死せず」という言葉があります。非常に有名なフレーズですが、実は当の本人はこんな言葉は残していないと考えられています。

板垣退助の本当のセリフ

1882年4月6日、岐阜県の会場で演説を終えた板垣は、宿舎に戻る際に刃物を持った刺客に襲われ、胸や手を負傷しました。地面に倒れ込んだ板垣は「板垣死すとも自由は死せず」のフレーズを残したとされます。

しかし警察の調書の当時の記録の中では、出血しながら起き上がった板垣が「吾死するとも自由は死せん」と言ったと記録されているのです。この言葉が多くの人に語り継がれるうちに、「板垣死すとも自由は死せず」という少し美化された名言になったのです。

ちなみにこの暗殺計画により、この名言を残して板垣退助は死んでしまったと思っている方もいるようですが、板垣は一命を取り留め、その後も精力的に政治活動を行なっています。