「野球するなら~、こういう具合にしやしゃんせ~」の掛け声と共にジャンケンをし、負けたら服を脱ぐ。といったゲームが「野球拳」として当たり前の認識を得ています。しかし野球拳には、ちゃんとした歴史と公式ルールがあったのです。

野球拳の歴史

1924年。伊予鉄道電気野球部と高商クラブが野球の試合を行ない、伊予鉄道電気野球部は0-6で敗れました。試合後、旅館で行われた対戦相手との懇親会の宴会芸として、披露した演技が野球拳の始まりでした。

野球拳は当時、伊予鉄野球部のマネージャーをしていた川柳作家の前田伍健が、『元禄花見踊り』の曲をアレンジし即興で作詞・振付けをしたものであり、1954年にはレコード化もされ、大流行しました。

宴会芸としての野球拳の知名度が上がっていき、テレビのバラエティ番組等の影響もあり、じゃんけんに負けた際の罰ゲームとして服を脱いだりするといった行為が目立つようになり、逆にそれが野球拳の定番となったのです。

野球拳の公式ルール

野球拳には公式ルールが存在します。まず、野球拳は三人一組のチーム戦なのです。両チーム一人ずつが前に出て、三味線と太鼓の伴奏に合わせて歌い、踊ります。「アウト、セーフ、よよいのよい」で両者は必ずグーを出し、次の「ジャンケンぽん」の掛け声に合わせて、ジャンケンをするのです。

ジャンケンの勝負が決まったら、「へぼのけ、へぼのけ、おかわりこい」の掛け声と共に負けた者は退場し、次の者に交替し、三人ともを負かしたチーム、つまり3アウト取ったチームが勝ちとなります。「へぼのけ」とは伊予弁で「へぼ」は「下手なやつ」を、「のけ」は「どけ」を意味します。

野球拳の全国大会

この公式ルールを用いた野球拳は、全国大会まであるのです。その全国大会は松山春まつりのメインイベントの一つとして、1968年から松山市で毎年開催されています。