足利義教(あしかがよしのり)は第3代将軍・足利義満の息子であり、室町幕府の第6代将軍として活躍した人物です。前任である第5代将軍は足利義量ですが、実際に政治の権限を握っていたのは第4代将軍である足利義持と言われています。義持は死ぬ間際になっても、実質の後継者となる第6代将軍の指名を拒否し続けたのです。

クジ引き将軍

そこで評議の結果、義教を含む3人の中からクジ引きで後継者を決めるという、前代未聞の案が可決されたのです。

1428年1月17日に石清水八幡宮でクジが引かれ、翌日の義持死亡後に開封されました。その結果、義教が第6代将軍となることに決まったのです。このことから、義教は別名「クジ引き将軍」とも呼ばれています。

義教は幼少期に出家して僧になっていたため、就任決定後は僧の名を捨て将軍に就任しました。最初のうちは話し合いによる政治を行なっていましたが、徐々に劣悪になり、最後の方は自分の独断で政治を行なっていたため反感を買い、1441年に暗殺によってその生涯を閉じました。