明治を代表する歌人であり、26歳の若さでこの世を去った「石川啄木」の作品が評価されたのは、彼の死後になってからでした。それゆえに啄木は生活が苦しく、友人たちに金を借りては返さないといった自堕落な生活を送っていました。

借金魔、啄木

そもそも学生時代より、カンニングや出席日数不足などの理由から中学校を退学処分となっていました。上京して創作活動に専念するも、その甘い性格は直っているわけもなく、生活苦から周りの知人に借金を重ねていました。63人から借りた合計金額は現代の価値で1400万円ともいわれています。

その啄木が、友人らに書いた手紙が残っています。その手紙の冒頭には「一言も言い訳することはできません」から始まっているものの、なぜ借金を返済することができないのかがズラズラと書かれており、その手紙の長さはなんと1m33cmにも及ぶ上、一言の謝罪もなく、最後には「こういう訳で、返済ができません」で終わっているのです。

啄木が借金をしていたことは最も多くのお金を貸していた貸し主によって公表され、啄木は素晴らしい和歌の評価に加え、「金にだらしがない男」という悪評も付いてしまうことになったのです。