日本を代表する漫画『アンパンマン』の作者であるやなせたかしは、東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部総合工学科デザインコース)を卒業後、高知新聞に入社。さらにその後はデパートの三越に入社している経歴を持っています。

やなせたかしの活躍

三越といえば、赤と白のデザインがなされた包装紙が印象的です。この包装紙は1950年から使用されており、日本で初めてのオリジナルの包装紙として誕生しました。この包装紙は画家である猪熊弦一郎の作品で、『華ひらく』という作品名まで付いているのです。そしてこの包装紙にはローマ字で「Mitsukoshi」と書かれていますが、実はこの文字を書いた人物こそ、アンパンマンの生みの親であるやなせたかしなのです。

その後、三越を退社したやなせたかしは、本格的に漫画家への道を進むわけですが、絵本や漫画以外の仕事も積極的にこなし、舞台美術家、演出家、司会者、コピーライター、作詞家、シナリオライターなど様々な肩書きを持っています。

誰しもが知る「僕らはみんな生きている」で始まる名曲『手のひらを太陽に』の歌詞を作詞したのも、何を隠そうやなせたかしの手によるものなのです。