「奴隷解放の父」と称され、「人民の、人民による、人民のための政治」という名言で有名な第16代アメリカ大統領の「リンカーン」が、大統領となる前にプロレスラーをやっていたことはあまり知られていません。

奴隷解放の父はプロレスの父?

日本ではプロレスラーのアントニオ猪木を始め、多くの元スポーツ選手が国会議員になっています。内閣総理大臣を務めた麻生太郎も、1976年のモントリオールオリンピックにて、クレー射撃の日本代表として参加していた人物です。

リンカーンもまた、当然ながら生まれた時から政治家だったわけではありません。弁護士という経歴を経て議員になり、大統領へと昇りつめたのです。しかし弁護士となる前、彼はレスリングでその名を馳せていたのです。

それはまだリンカーンが20代前半と若かりし頃です。リンカーンは生涯で300試合を戦ったとされ、負けた試合は1試合しかなかったといわれます。賞金がかけられていた試合であり、現代でいうところのプロレスリングということになります。しかし極めて正確な記録が残っているわけではないようで、都市伝説の域を脱してはいませんが、リンカーンがかなり強かったというのは事実のようです。

そんなリンカーンの功績を称え、アメリカのプロレス団体であるWWEは、リンカーンを殿堂入り選手として指名しています。