「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士。当時の日本に技術を伝えた偉人として語り継がれています。しかしクラーク博士は日本を去った後、アメリカで詐欺の疑いで訴訟を起こされていたのでした。

今回の雑学では、クラーク博士の”その後”をご紹介します。

日本で何をした人なのか

札幌農学校(現:北海道大学)にて初代教頭を務め、植物学や自然科学を英語で教えた人物。また、学問以外ではキリスト教の布教活動も行っており、生徒の多くはキリスト教の信者となりました。

日本で教育を行った期間はわずか8ヶ月ながら、その影響力は後世にまで語り継がれている程です。

帰国後、詐欺容疑で起訴されるまで

アメリカに帰国したクラーク博士は、それまで務めていたマサチューセッツ農科大学の学長の座を退き、大学の新規開校を企画するものの実現できず。その後、鉱山会社を立ち上げるものの倒産。負債額は日本円でおよそ2億円といわれています。

そんな苦労がたたってか、日本を離れてわずか9年後に心臓病を発症して亡くなってしまいます。