パンチパーマは1970年から流行したヘアースタイルで、不良やヤンキーが好んであてていたパーマという印象が強いです。しかしこの「パンチパーマ」という名称は、もともとは全く違っていたのです。

パンチパーマの元祖名称

パンチパーマは北九州市の理容師、永沼 重己が黒人の髪形をヒントにし「約160℃のヘアーアイロンを髪に当て、手首を回してパーマをかける」という方法のパーマを考案しました。

このパーマは「これ以上はない」という想いから、当初は「チャンピオンプレス」と名付けられました。しかしあまり定着しなかったようで、後に当時大流行していた雑誌『平凡パンチ』の人気にあやかって、関西の理容器具商社によって「パンチパーマ」と名付けられ、世間に定着していったのです。