童謡「シャボン玉」は実は悲しい歌だった
古くから童謡として伝わり続ける「シャボン玉」の歌ですが、実はその歌詞の裏にはとても悲しいエピソードがあるようです。
童謡「シャボン玉」
シャボン玉が発表されたのは1923年。作詞・野口雨情(うじょう)、作曲・中山晋平の二人によって制作されました。
シャボン玉の歌詞は次の通りです。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えたシャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
悲しいエピソードとは
作詞を担当した野口雨情が長女を授かったが、生後7日後に亡くなってしまいました。その後子宝には恵まれたものの、後に生まれた娘を2歳で亡くしてしまいます。
当時ではこの年齢で亡くなってしまうことは珍しくはありませんでしたが、雨情は亡くなっていった二人の娘をずっと悔い続け、シャボン玉の歌詞に残したと言われています。
ただしこの説を決定的にするような記述などは残っておらず、一種の都市伝説のようなものになってしまってはいます。
もう一度シャボン玉の歌詞を見てみましょう。命の儚さを歌っているように思えてなりません。