福澤諭吉と言えば一万円札の肖像画として描かれている偉人です。

今回の雑学では、福澤諭吉のエピソードと、それにまつわる彼が残した名言ならぬ迷言をご紹介します。

福澤諭吉とは

学問の分野で多大な功績を残し、慶応義塾大学の創設者でも有名です。

諭吉の執筆した書籍の中で最も有名なのは『学問のすすめ』でしょう。

全17編にものぼる大作で、学問のこと以外にも欧米の政治思想や民主主義の理念など、多様な項目について書かれた内容になっている。

当時の日本の人口3000万人の時代に、300万部を売る大ベストセラー作品である。

ちなみに冒頭で説明した一万円札の肖像ですが、日本のお札の中で唯一、福澤諭吉の一万円札だけは肖像画が変更されていません。

福澤諭吉とビール

諭吉は大の酒好きで知られています。中でも当時はまだ珍しかったビールが一番のお気に入り。自身の著書である西洋文化を書いた『西洋衣食住』には次のように書かれている。

「ビィール」と云ふ酒あり。是は麦酒にて、其味至て苦けれど、胸膈を開く為に妙なり。亦人々の性分に由り、其苦き味を賞翫して飲む人も多し。

ざっくりと現代語訳してみると、「ビールという酒は、麦で出来た酒で苦味がある。しかし胸の内を明かすことが出来る。その苦味を楽しむ人も多い。」といった感じになる。

今でいう「飲みニケーション」には打って付けの酒だという事だ。

福澤諭吉の苦悩

そんな酒好きの諭吉ですが、健康面を気づかって何度も禁酒に挑戦します。しかし失敗の連続。禁酒した事によって口が寂しくなり、タバコも吸い始めてしまう始末。

最終的に諭吉は次の迷言を残して禁酒に成功します。

「ビールは酒にあらず」

ビールはアルコールではないと豪語し、強引に禁酒に成功したことになったのです。

禁酒中も毎日ビールを飲み、製造メーカーには「味が落ちた」とクレームの手紙まで出していました。

分かっていながらも止められない自分に対して、無理矢理に納得させてしまった行為は、ビールだけにまさに苦い思い出となった事でしょう。