時代劇でお馴染み、長寿番組「水戸黄門」にもなっている徳川光圀(みつくに)は、諸国漫遊をしながら悪を懲らしめて旅を続ける。というストーリーが定番となり、知れ渡っています。しかしそんな水戸黄門のドラマのお話は現実では全くあり得ない話だったのです。

今回の雑学では、水戸黄門の本当のところをご紹介します。

水戸黄門は江戸から出ていない

徳川光圀は『大日本史』を制作し、水戸学と呼ばれる学問の基礎を作り上げました。他にも仏像の保護や社寺の整理など、様々な分野で功績を残してきた人物です。

ドラマでは、諸国を漫遊しながら悪を成敗していくイメージが強いですが、実際の水戸光圀は全国どころか江戸からすら出たという記録はありません。一番の遠出は、現代の鎌倉までということです。

そもそも水戸光圀は水戸藩第二代藩主であったため、規則により江戸から出ることが許されてはいなかったのです。