水戸黄門といえば徳川光圀の別称として有名です。数々のテレビドラマや小説が作成され、今もなお根強く人気の歴史上の人物です。
しかしこの水戸黄門。実は7人いたということは知らない人が多いのではないでしょうか。

今回の雑学では水戸黄門が7人いた理由を解説していきます。

水戸黄門とは

徳川家は水戸藩を納めていたことは周知の通りですが、そもそも「黄門」とはどういった意味なのでしょうか。
黄門は古代中国の「門下省」から来ています。この役所の門が黄色に塗られていたため、門下省=黄門と呼ばれるようになりました。そして日本では「中納言」という役職の仕事内容が、中国の門下省と似ていたため、日本でも中納言=黄門と呼ばれるようになりました。

つまり、水戸藩の中で中納言の役職に付いた人物が「水戸黄門」となるのです。

水戸黄門になった人物

水戸黄門になった人物は次の7名です。

  • 徳川 頼房(よりふさ)
  • 徳川 光圀(みつくに)
  • 徳川 綱條(つなえだ)
  • 徳川 治保(はるもり)
  • 徳川 齋脩(なりのぶ)
  • 徳川 齋昭(なりあき)
  • 徳川 慶篤(よしあつ)

なぜ徳川光圀だけが有名なのか

徳川光圀は史書「大日本史」の制作にとりかかるなど、研究や文化財の保存活動など様々な事業を行ったことで、政治にも影響力を持った人物として有名です。
この大日本史作成に必要な情報を各地で集めるために巡業を繰り返したイメージが強いため、光圀だけが注目されてドラマや小説になり現代に語り継がれているのでしょう。