東京都千代田区永田町、日本の政治の中心地であるこの場所には、長さ約200m、奥行き約90mにもなる国会議事堂が建てられています。国会議事堂のデザインはとても凛々しく美しいものですが、これは一般公募によって選出されたのです。

国会議事堂のデザイン

日露戦争が終結した後、国会議事堂は改修工事を行うことになりました。その際に新たなデザイン案を一般公募にて募ったのです。募集は1918年9月に開始され、翌年の1919年2月までの間に118通の応募がありました。この中で一次選考を通過した20案の中から、栄光を勝ち取ったのは建築家である渡辺 福三の案でした。

渡辺 福三には当時の金額で1万円の賞金が授与されました。現在から約100年前のこの時代、大卒サラリーマンの初任給は約50円ともされますので、その額の大きさは相当なものになります。

新デザインの国会議事堂が着工したのはその翌年の1920年1月からで、17年をかけて完成しました。しかし残念なことに、着工から間もない1920年3月に、流行り病によって渡辺 福三はこの世を去ってしまったため、完成した国会議事堂を目にすることはできなかったのです。