マラソンは40kmもの距離を走る過酷なレースです。オリンピックの夢舞台を胸に、選手は日々トレーニングを重ねています。しかし1904年に開催されたセントルイスオリンピック大会にて、その舞台をぶち壊したマラソン選手がいるのです。

キセル・マラソン事件

セントルイスオリンピック大会のマラソン競技が行われた当日、猛烈な暑さにより気温は32℃を記録していました。32名の出場者の中、ゴールに辿り着いたのは14名という過酷な環境下でのレースとなりました。

アメリカ代表のフレデリック・ローツも例外ではなく、スタートから15km地点で脱水症状に加えて足が痙攣したことによりその場に倒れてしまいます。そこへたまたま通りかかった車によって救助されました。しかしその車はゴール地点から8km手前の位置でエンストして停車。そして体調が回復していたフレデリック・ローツは、あろうことかその地点から再び走り出してゴールを目指したのです。

2位の選手と1時間も早くゴールに到着したフレデリック・ローツが喝采を受けている中、車の運転手が競技場に到着し、彼が車に乗っていたことを告発したのです。当然フレデリック・ローツは失格となり金メダルは剥奪、2位の選手が繰り上げ優勝となったのです。

この出来事は「キセル・マラソン事件」と呼ばれ、今でも語り継がれています。