20世紀を代表するコメディアンにして「喜劇王」の愛称をもつチャールズ・チャプリン。チョビヒゲにステッキを持っている姿が印象的ですが、このステッキは撮影のたびに日本のメーカーに製作してもらっていました。そのことからチャップリンは日本が大好きだったのです。

チャップリンを手助けした日本人

1916年、多忙だったチャップリンは専属の運転手を募集したところ、そこへ応募してきたのが高野 虎市(こうの とらいち)でした。チャップリンは高野が日本人ということだけで即採用を決定したのです。

当初は運転手として仕事を全うしていた高野ですが、その仕事ぶりにチャップリンは非常に感心を受け、身の回りの世話を任せるようになり始めるのです。そしてついにマネージャーとしてチャップリンの世話をすることになりました。

ちなみに、チャップリンの映画『冒険』にて、運転手役として出演もしています。

しかし1934年のある日、チャップリンの妻であるポーレットの浪費癖を注意したところ、そのことがチャップリンの耳に入ったことで、高野はマネージャーを解雇されてしまったのです。