マハトマ・ガンディーは悪ガキだった
インドを独立に導いたことで有名な政治指導者、宗教家であるマハトマ・ガンディー。人格者であり平和主義者であるガンディーは、さぞ高名な経歴を持っているのかと思えば、そうでない一面もあるのです。
ガンディーの経歴
18歳でロンドンに渡り、インナー・テンプル法曹院に入学した後、弁護士となったガンディー。弁護士をするかたわらに公民権運動に参加し、インドへ帰国した後はイギリスからの独立運動を指揮しました。民衆暴動やゲリラ戦などの武力行使に訴えるのではなく、「非暴力、不服従」を提唱し、インドを独立へと導いたのです。
ガンディーの本名は「モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー」であり、よく耳にする「マハトマ」とは、現地の言葉で「偉大なる魂」を意味する尊称なのです。しかしそんな彼でも、じつは幼少期は荒れに荒れた少年だったと言われています。
小学校の成績は悪かった上、素行も悪く、ヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食を繰り返したり、タバコにも手を出す始末。タバコ代を工面する為に召し使いの金を盗み取ることもあったとか。
計5回もノーベル平和賞候補に挙がっていながら受賞するにいたらなかったのも、幼少期のバチがあたったのかも知れません。