葛飾北斎は江戸時代後期を生きた、日本を代表する浮世絵師です。海外からも非常に評価の高い葛飾北斎の作品数は3万点を超え、弟子は200人以上もいたとされます。しかし偉人とはやはり人とは違った考えを持っているもので、葛飾北斎も「奇人」と呼ばれていました。その理由は彼の引越し回数から見えてきます。

葛飾北斎は引越し魔

88歳で生涯を終えた葛飾北斎は、その人生の中で何と93回も引越しをしたと記録されています。一日のうちに3度も引越しをした日があるとか。なぜこんなにも引越しを繰り返したのか、それは葛飾北斎の絵に対する執着心が関係しています。

葛飾北斎には娘がいました。この娘もまた絵師であり、二人は絵に没頭するあまりに食生活も惣菜や大好物の饅頭を買い込んでは、絵を描く合間に食べていました。生活する上で出るゴミは部屋の隅にポイポイと捨てていました。つまり家事や掃除を一切せずに絵を描き続けていたのです。こうなると部屋は汚れ、臭いが立ち込めてきて、とても絵を描くどころではなくなってきます。いわゆるゴミ屋敷状態になると、葛飾北斎は掃除するわけではなく、新しい住居へと引越して行くのです。荷物も最小限な上、絵を描けるスペースを確保するために引越すので、引越し先も近所で済ませたとか。

ペンネームである雅号も30回以上も変更し、最終的に行き着いた名前が「葛飾北斎」。その名の通り東京都葛飾区近辺で引越しを繰り返し、その生涯に幕を下ろしました。