1958年12月23日に完成した東京タワー。高さ333m、総工費約30億円、219,335人の人員によって一年半をかけて完成した電波塔。2012年5月に東京スカイツリーが完成するまでの51年間、自立式鉄塔として日本一の高さを誇っていました。そんな東京タワーの名称は、一般公募により選出されたのですが、その裏には「なんで?」というエピソードが残っていました。

疑問の残る審査会

東京タワーの名称は事前に名称を公募し、86269通の中から選ばれました。最も多かった名称は「昭和塔」。続いて「日本塔」、「平和塔」でした。「東京タワー」という名称の応募はわずか223通で、13位。全体の応募数の0.26%しかありませんでした。しかし審査員である徳川夢声が「東京タワー」を推薦した結果、1958年10月9日に「東京タワー」と決定したのです。

徳川夢声とは、明治から昭和の時代に活躍していたタレントであり、今もなお使われ続けている「彼氏」や「恐妻家」といった造語を作った人物とされています。日本放送芸能家協会の初代理事長も務めた、いわばお偉いさんなのです。

前述の通り、世論では不人気だった名称を採用にまで持ってきた徳川夢声の一声は、まさに鶴の一声だったのかも知れません。