心頭滅却すれば火もまた涼し」。この言葉はあまりにも有名です。どんな熱さも心持ちで涼しく感じるのだという精神を説いた言葉ですが、この言葉の持つ意味を深く知らない方は多いでしょう。

言葉の意味とは

この言葉には前に付く文章があります。全文は「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火もまた涼し」となります。この言葉を残したのは戦国時代を生きた臨済宗妙心寺派の僧である快川 紹喜(かいせん じょうき)で、これは彼の辞世の句でもあります。

織田信忠の派遣した軍によって彼のいた恵林寺は焼き討ちにあうのですが、燃え盛る三門の上で残した句が「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火もまた涼し」というもの。つまりは「座禅を組むのに山水の地を必要とせず、悟りの境地に達すれば火もまた涼しく感じる」と言いながら焼死してしまったのです。

この句は快川 紹喜が作り出したものと思われがちですが、もともとは唐の時代の詩人である杜 筍鶴(と じゅんかく)の『夏日題悟空上人院』という詩の一部なのです。