二度も内閣総理大臣を務め、早稲田大学を創設したことで知られる日本を代表する偉人である大隈重信。彼の逸話は数え切れないほどありますが、その中でも特に変わった逸話を紹介しましょう。

文字を書かない総理大臣

大隈重信が書き残した文書は、17歳頃に書き残した自作の漢詩と、明治天皇にあてた本籍移転を承諾する文書だけです。これ以外の文書は消失したわけではなく、大隈重信は生涯で文字を書かなかったのです。総理大臣という公務、そして教育機関を立ち上げるほどの大変な仕事を、文書やメモすら書くことなくこなすことが可能なのでしょうか。

大隈重信が弘道館という、今でいう学校に通っていた時のこと、とても字が上手な学友がいたそうです。どれだけ努力してもこの人には字の上手さで勝てないと感じた大隈重信は、それならば字を書かなければ負けることはないという意外な発想転換によって、生涯を通じて字を書くことを辞めたのです。勉強は暗記で、文書や著書を書く際は口頭で文章を伝えて他者に書かせる口述筆記で済ませたといいます。

かなりな負けず嫌いの性格が垣間見え、偉人ならではの人とは変わった考え方をすることが分かる面白い逸話です。